毎日温泉に入るのが普通の 湯河原温泉に住む 私には
 毎年の 高温の野沢温泉外湯に 入るのが 楽しみです。
 お世話になっている民宿の隣にあるのが 高野辰之の資料館です。 

 おぼろ月夜の館[斑山文庫]  
img_spot_01.jpg 高野辰之画像
   高野辰之先生 埼玉県立越ヶ谷高校の校歌の作詞者です。

 
その野沢温泉へ 高速道路を走っていって 豊田飯山ICを 降りると、
  左へは 高野辰之記念館、   右へは 野沢温泉おぼろ月夜の館 の標示です。
  左は 生家の近くの記念館で、 右は 晩年を野沢温泉ですごし、そこで亡くなった資料館です。

  ※ 下の地図写真の上にマウスのカーソルを置いて クリックすると 拡大できます。

 高野辰之記念館地図

 その高野辰之記念館へ向かう道の下を 流れるのが 「故郷」に歌われる
   ウサギ追いし あの山  小鮒 つりし あの川  なのです。
   赤い橋の上で 車を留めて その正面のフタ並びの山と 小さな川を 見てみましょう。
   橋の上からみると どうしても 上の地図に
      小鮒を釣ったのは 「あの川」ではなく「この川」と書いてしまいますが・・・・



 今月はじめに 天皇皇后様は その記念館を訪問されました。

     ♪兎追いし かの山 小鮒釣りし かの川

       中野 天皇
   高野辰之記念館の展示物を見学される天皇、皇后両陛下=長野県中野市で2016年6月4日午後代表撮影

『毎日新聞』では
 天皇、皇后両陛下は4日、第67回全国植樹祭の式典出席のため長野県を訪問された。翌日の式典を前に同日は、中野市にある高野辰之記念館を視察。唱歌「故郷」「春が来た」の作詞などで知られる国文学者、高野辰之が残した書や、作詞した歌が載る「尋常小学唱歌教科書」などに見入った。両陛下は、唱歌を習い、歌った子供のころに思いをはせ、互いの思い出話で話が弾んでいた。【山田奈緒】とあります。




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2016.06.13

皆さん元気で活躍していらっしゃるようで 安心です
   先日 同窓会の新年会のお誘いに参加できなくて 失礼いたしましたが
   昨年の 高校90周年の記念誌と 礼状 お菓子が送られてきました。
 松澤会長さん お気遣い ありがとうございました。 また、越ヶ谷へ出向く際には、お目にかかります。
    


                                平成28年2月8日
加藤 雅喜様
                              
                            越ヶ谷高等学校同窓会
                                会長 松澤 雅夫
 拝啓
  立春の候、先生に於かれましては益々ご健勝のこととお慶びもうしあげます。
 このたびの同窓会新年会に、ご芳志を頂き誠に有難く御礼申し上げます。新年会に於い
て先生のご近況などをご紹介させて頂きました。
 寒い毎日が続きますが、先生・ご家族の皆様のご健康とご多幸をご祈願しまして御礼申
し上げます。
                                       敬具
       
      越ヶ谷高校記念誌

  この記念誌は、私が在職した3年間を含む 80周年から90周年までの記録を含むもので 
  お世話になった 益子校長 宇田川校長さんの挨拶文の中に あれこれ思い出されること 多いです。
 
 (1)宇田川校長さんの文の中でも 
    同様に 記念誌本編での 総務部の生徒募集で、
     三上 旭先生が 「このころ 塾の説明会や塾訪問を始めた」ことを記していただいています。
        三上先生にも 手伝ってもらった資料を持って

       「公立進学校の越髙が そこまでやるか!? 」
        
などと 小規模進学塾の経営者にも、大手進学塾の先生方にも
        揶揄されながらも、
        秋~年末にかけては・・・・
        毎日、帰宅時に方角を決めて、夕方の街角の塾を、
        毎土・日曜日には、ほとんど  さいたま・春日部から千葉県まで押しかけまわって、
            進学説明会の片隅にイスを用意してもらって中学生や保護者へお話しをしたものでした。
      そんな思い出を呼び出すことを、三上先生が書いてくださいました。
       
      入学した生徒には、日常のトイレも、エアコンも、雨日の校門までのバスも、一つでも良い環境を作るように
        PTA後援会、同窓会の方々に とにかく 無理を言う 私でした。
      生徒諸君同様に、保護者にも、そして 先生方にも ガンバってもらいました。
            
      3年間作ってきた、「学校だより」は、
       それら三者の頑張りで 越髙がすばらしく良くなっていることを、お互いに確認し合う ツールでした。
       中学生、その保護者、塾への情報提供でした。
       地元の市町村、教育委員会へのPR報告でした。

  (2)資料篇に   (90周年記念誌 53ページにそのまま掲載してくださいました)        
         
      ① その 学校だより「啐啄同時」の 19年度1号の紙面を紹介していただきました。
     
        そんなに がんばって やり遂げた結果は

      ② 始まったばかりの学校評価制度の委員会で、
         お出で頂いた学校外の評価委員の方々から 平成20年度は オールAを いただきました。
    
           当たり前ですね。それだけの奮起を 外の人も分かっていたということでしたね。 


   久しぶりに 昔を思い出しました。




         
      

  
2016.02.19

「秋の夕日に照る山紅葉・・・」

「春が来た 春が来た どこに来た 山に来た 里に来た・・・・・」

IMG_3466補正小

「春の小川はさらさらゆくよ・・・・」
「兎 追いし かの山、子フナ釣りし かの川・・・・・」で

  有名な文部省唱歌を次々に作り出した大家である高野辰之氏である。

さらに『朧月夜(おぼろつきよ)』の、「菜の花畠に 入り日薄れ 見渡す 山の端 霞ふかし・・・・」は、
 
信州北部の五月の季節にぴったりである。高野氏が生まれ育った野沢温泉からの信濃川流域は、
 むかし映画『観音堂』の撮影場所であり、
 5月が菜の花のシーズンである。

 その菜の花は、純粋のアブラナではなく、やや白っぽい黄色の花であるがそれは「野沢菜」の塔がたっての菜の花であることは、先年、妻と野沢温泉健命寺の野沢菜発祥の地畑を訪問してご住持にお話を聞いたときに伺った話であった。

  20060514100647s_201601081350187d1.jpg   20060514100720s_20160108135002cc9.jpg
   後ろが 健命寺で 畑が持ち帰った天王寺かぶ→野沢菜の畑

  また、私は このお寺の墓地に眠る中央大学大学院の恩師、森 克巳先生の生まれ故郷でもあり、高野辰之の記念館もある野沢温泉村に毎年11月1日秋の収穫に出かけている、野沢菜公社の株主=蕪主であある。森先生の兄弟が村長を務め、今の観光協会会長で公社社長は親類の森氏である。

2015.11.1.株(蕪かぶ)主総会の余興
IMG_0166.jpg
  IMG_0167.jpg
  ステージ脇の樽の上にあるのが 「天王寺かぶら」

 森先生は、「野沢菜の本家は野沢温泉である」という文章を昭和45年頃『日本歴史』に掲載して、全国の土産物店、サービスエリアで売られている「ニセ野沢菜漬」の撃退をめざしたことがあった。
 その野沢菜を温泉で洗う風景の「麻釜」の付近に別荘を構えて晩年を送った高野辰之氏の「菜の花」が「野沢菜」ということは実に感慨深い深い場所である。

  その野沢温泉村での「菜の花」は 健命寺の住職が、京へ修業へ出かけた江戸時代、
いわゆる壬生菜と呼ばれる大葉の蕪の種(京都では「みぶな」と呼ばれたそれは、大坂の四天王寺の「天王寺かぶ」でした)を
運び、野沢温泉村の寺の境内に栽培したところ
泉地の土壌と地温に恵まれて大きく成長して野沢菜と呼ばれる大型の作物になったということを 森先生はお話ししていたが、

  
今年は 野沢菜発祥260周年記念 

 野沢温泉村によると、野沢菜は同村の健命寺の住職が1756(宝暦6)年ごろ、天王寺蕪(かぶ)の種を村に持ち帰ったのが起源とされる。
 飯山地方の菜の花は、その多くが越冬した野沢菜の花で、旧豊田村(現中野市)出身の高野辰之作詞の唱歌「朧月夜(おぼろづきよ)」で有名であるといつもPRされている。

2016.01.08
先月 中村一族の三男坊 土肥實平の故郷を案内して
  神奈川県小田原と大磯の間、二宮町へも出かけtきましたが、
  今朝の「読売新聞」に 下のような記事が出ていました。

吾妻山の菜の花が満開・・・

201001252057483bb_20160108135835fc7.jpg
  この写真は 数年前に 夫婦で出かけた時の 様子です。今年は富士山の雪もこの時と同様に少ないのですが。

そして
 二宮駅の発車メロディーが 「おぼろ月夜」に・・・

s.jpg

私が勤務していた越ヶ谷高校の校歌を作詞したのが この 「朧月夜」の作詞者の 高野辰之でした。 
 
 信州最北端、長野から上越市に抜ける高速道のICの町の生まれで、飯山線の利用者であり、野沢温泉で老後を過ごしました。
 旧豊田村の生家の近くには 大きな記念館があり、ウサギ追いし山もありあます。 野沢温泉にも記念館があります。

二宮町は 良い曲に 恵まれましたね。 
  先月 大磯の吉田茂邸に行ったときの帰りに乗ったバスで 二宮駅で電車を待っていたときには チャイムでしたが
  土曜日から 朧月夜 になるのですね。 11日に 大磯の左義長を見に行くので 東海道線にのって 聴いてみましょう。
  楽しみです。

  そしたら 越ヶ谷高校の同窓会や 二つの高野記念館、野沢温泉村、健命寺へも 感想を添えて伝えたいと思います。


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2016.01.08
先日 越ヶ谷高校の卒業生のかたから 
 私が在職中の ブログ記事を見て コメントをいただきましので、お答えします。


このページの作者のかたは 今もご覧になってるのでしょうか?
26年11月30日 日展に行ってびっくり。 青龍先生の書がありました。
私は高校生の時に越ヶ谷高校で、書道を選択していたので、青龍先生に、教わっていたのです。
本人かな~と思って半信半疑ながらこのページにたどり着きました。
お元気なのですね~ なんといっても 30年前、びっくりです



 メール ありがとうございました。
 6年前まで 越ヶ谷高校に勤務をしておりましたが、残念ながら私は 本多青龍先生にはお目にかかれませんでした。卒業生から 良く「青龍先生はお元気でお勤めでしょうか?」といった問い合わせがありました。
 校内には多くの作品が 今も壁面に掛かっています。上記のように、先生は、今もご活躍のようですね。
 
仕事柄 学校内の掛け物は、絵画も良いけど、やはり、太字の書道作品であるかと思い続けていました。
 それは、自分が卒業した新潟高校の図書館などに、卒業生だった会津八一先生の多くの書道作品があって、それらに囲まれて学生生活を送っていた経験が そうさせたのだと思います。
 私は「日展」にも しばらく行っていませんが、そこへお出かけになっている卒業生の貴方に、敬意を表します。コメントありがとうございました。お元気で。


2014.12.09
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