湯河原の有名な 
   みかん問屋さんと、ラーメン屋さんが 近くの たこ公園
   
   インスタに その写真が掲載されて ツツジが綺麗と書かれていたので


     タコ公園1

  お昼に 行ってみました。
    上・下の写真のように 咲いていましたよ。
    土曜日なので 子供たちも いっぱい遊んでいました。
 
     IMG_2540.jpg
  
    近所のお肉屋さんで、アジフライを 買って貰って
     「ご馳走だよ」と 呼ばれた 黒猫さん 

       IMG_2541小
 
     「おいしそうだね」「ご馳走 買って貰って良かったねえ 」と、
      その様子に 声を掛けた私に 
       アジフライを 横取りされると 思ったニャンコが
       私を追い払おうと にらみながら やってきた。


    




スポンサーサイト
2017.04.22


そうかあ 今日は 厚木かあ

  今朝の 観光課のインスタ写真を 見て…


このところ お呼びがかからないと いうこともあって、
 「担々焼きそば」のイベントを
  すっかり忘れていました。

            img_1365646860_4_d.jpg

私のタンスの引き出しには、
  「担々焼きそば」 の Tシャツが
  入っていて、
  観光地に行ったり
  外国に行ったり した時に 着るようにしています。

モロッコの砂漠 ラクダへやってくる観光客の面倒を見ている
  現地の若い運転手さんに
  「土肥会の手ぬぐい」を あげたように。

  そのように あげられると 効果があると思うのだけど。

  まあ 背中に 「担々焼きそば」の絵柄があるだけでも、
  良いかと思って 着ています。


太田市や横須賀市、厚木市 横手市などの
  むかし
  「B級グルメ」の競争をした 町で 着てこそ効果があると思います。

              201109300643041c7s.jpg
     行田市での大会のお手伝いで・・・・・




2017.04.22
 

こんばんは

  熱海 伊豆山温泉のホテルを 撮影に使った TVドラマの録画を みました。
  水葉亭を使ったのか、相模屋か 中田屋か と思っていましたが、
  伊豆山神社の上の方にある ホテルでした。

iwakaigann.jpg

byouinn.jpg



 4月21日放送 TBSドラマ ヤメ判「新道 謙介」をみましたか?
  
  撮影場所は ハートピア熱海です。
  そのホテルのHP、ブログに こう紹介されていました。

pic8.jpg

ha-topia.jpg

みなさんこんにちは~
今週の月曜日
TBSドラマ「ヤメ判 新道謙介」
   日曜名作劇場タイトル

ご覧になった方いらっしゃいますか~

そうなんです!
     当館を撮影場所でご利用頂いていたんですよ(^_^)/
     フロント・ロビーを始め、レストランなどたくさんの場所が
     ドラマで放映されてました~
5fff9f70-s.jpg
     只今、当館のフロント横、廊下のところへ
     ドラマ撮影にて使用してましたホテル翔陽閣の
     看板を飾らせて頂いております~(^_^)v
799c6e0f-s.jpg
     なんと!!橋爪さんの
     直筆サイン入りでございます♪
     是非、当館へお越し頂いた際にご覧くださいませ~

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

iwakaigann_20170422003653d97.jpg

 熱海の事件なのに、
 何故か 殺人事件は 真鶴の岩海岸で、それも二度も起こったのでした!


     IMG_2527.jpg

  ■上の写真   二人の間、奥の水色の建物は、
             「ボートのロッキーマリーン」と、その左が岩漁業協同組合です。
  ■下の写真   人物左端の右肩 湾の向こうの砂浜は 5月13日(土)午前開催の
             「岩海岸 龍宮祭」で 「焼亡の舞」・頼朝実平七騎の舟出口上をやる場所です!

IMG_2531.jpg
 

2017.04.21
 
  天野さん 復活です 今日も活躍しました。警察のスタッフも素晴らしい。個性が出ている。
  来週は 村田さんの熱演です。 
  予告編をみると さすがに 刑事物得意の村田さん 渋みが出てきた。良い出来だと思う。
  番組HPの 予告編も インターネットで見ることが出来ます。


     緊急取調室2
   村田雄浩1

村田雄浩さんの活躍する
 4月27日(木) 
 来週の第2話

 深夜の大学病院で、人工呼吸器につながれた入院患者・高木直明(高桑満)の容態が急変。
当直医の糸山恵太(福士誠治)が処置に当たる。ところが、家族を呼びに行った看護師・桜井加代が
病室に戻ると…人工呼吸器を外されて絶命した高木に、なぜか糸山が靴下を履かせていた!

 糸山は高木を殺害した容疑で逮捕されるが、一貫して容疑を否認。加代が病室を離れてから、
高木の人工呼吸器が外されるまで、わずか9分間――目撃者が誰もいない、この“空白の9分”に
何があったのか…。
真相を究明すべく、糸山の取り調べは真壁有希子(天海祐希)ら「緊急事案対応取調班
(通称・キントリ)」に託される。

 まもなく、警視庁留置管理課の警察官・宮沢俊哉(村田雄浩
に警護された糸山が、特別取調室に姿を現す。ところが第一回聴取を終えた直後、未曾有の緊急事態
が起こる! 拳銃を手にした宮沢が糸山を特別取調室に引き込み、籠城したのだ!! 「甘いんですよ、
あなたたちは。私が代わって取り調べます」――
    そう宣言したかと思うと、宮沢は糸山の取り調べを開始。有希子はこの不測の
事態を一刻も早く解決すべく、宮沢の真の目的を探り始めるのだが…!?

     村田雄浩2





   表情が 渋くて 素晴らしい

2017.04.20

 忘れていた 恋ダンスの 星野 源さん 
  彼の衣装ファッションで気づくことがあるかという 私の質問の
  回答が遅れていました。下のファッションですね。

  代官山のTUTAYAでは、 昔 その代官町・猿楽町にあった

   地元の名会社 ①「ヨット鉛筆」の大々的な復活(?)と 
   ②「ヘンミ 計算尺」の展示販売。 そして ③ もう一つは?
   星野さんのファッションに関係する③も あわせて大々的な復活を(?)させては?                                                        
      というのが 私の提案でしたが・・・ それはなんでしょうか?

    4988002717965.jpg
   それは コレです。
    私も 若い頃に 使っていた ③ サスペンダーです。
    とにかく 格好良くなりましたよね。
  
 156-street-beat-1.jpg 53385f50e867beaa5a13037e99d85b43.jpg imagesIK1WOES4.jpg  
    ph_01.jpg


 
「松直商店」 日本最初の本格的ズボン吊り(釣り)会社である

 
  松岡直次郎
   13歳で 新潟県上越市から、 浅草で空樽屋を営んでいた祖父を頼りにして上京。車の後押しを手伝う。
   手伝いを求めて、唐物屋へ小僧奉公に入ったが、店が破産してしまうも、二十円の高額金を手にする。
   これを資本として洋品雑貨の行商をする。
   そのモットーは、
    「健康と精勤が何よりの資本である。誠実と信用は元手である」
    「買った物は現金で払う」。  次第に 問屋から誠実さを認められることとなる。
    
    行商をしている中に、唐物のガーターやズボン釣り(サスペンダー)について色々な批評を耳にした。
    ①色が派手すぎる、②図柄が大まかだ、③デザインが悪い、④ズボン釣りの股の部分が破れやすい。
     これらは全て輸入品に頼っており、日本人向きのものはなかった。
    
    直治郎は、「日本人向きのものを考案し、製造すればきっと喜ばれるに違いない」。
     今こそ、日本人向けの製造をするべきだと思った。
   そこで 
    1906年(明治39)正月、浅草瓦町に小さな家を借り、今まで地道に貯めたお金でミシンを購入した。
    2、3人の男女工に、ガーターやズボン釣りの製造の手伝いをしてもらいつつ、自らも製造に加わり、
    材料の仕入れから製品の売り込みの全てを行った。
     商標は「谷渡り人物印」とした。 両端を吊ったその上を人が綱渡りしても大丈夫だとの意味であるという。 
           img_01_20170420205949f5c.jpg
   国内初のサスペンダーブランドとしてガーター(靴下止め)、裄吊り(アームクリップ)、腕輪(アームバンド)などにも
   使用され人気を博した。
  1914年(大正6年) 日本橋馬喰町に「松直商店」を設立。
   しかし、当時は世界大戦が勃発し、舶来品の途絶に、国産品の海外品に代わるものをという一般情勢を考え、
   今までの工場と設備だけでは、とても注文に応じきれないということで、ズボン釣りその他の部分品
   一切を自家供給するべく 渋谷(それが 代官町に近かったことになる)に工場を建てた。
   ところが、この新事業は欠損が続き、3年、4年経って好転しなかった。
   普通であれば投げ出すところを、諦めずにねばった。 5年目にしてついに好転したという。
   
  1920年(大正9年)ズボン吊り事業が好転した頃、友人が経営をしていた東洋文具鉛筆製作所が、
   不振に陥り、応援していた直治郎が 援助した。場所が近所ということが 理由の一つのようである。

   発展しだした ズボン釣りの会社を弟子に任せ、自分自身は この鉛筆工場の再生に乗り出す。
   全く方面違いの事業であったが、負けじ魂と商才とは、やがて、この赤字続きの工場を改善させていった。
    製産工程に、販売にも、思い切った進歩的な方策を施した。昔の自分の仕事のように、自らが 
   文房具店を訪ねて廻り、評価の低さを改善すればよいと、奮闘して、
   新製品 「ヨット鉛筆」の開発に成功した。
 
   ヨット鉛筆は人気が出て、注文が殺到。目黒の工場(代官山の場所を指すのか不明)
   だけでは手狭となり、'1932(昭和7)年川口市
   (そうじゃなくて 川越街道 朝霞の方だと思ったが・・・)に 大工場を建てるまでに成長した。
   ここでもズボン釣りと 同じ精神が流れており、自社工場一貫生産、芯の製造(ゾル製・特許芯)
   から素材の加工処理、鉛筆への工程、乃ち 材料の製造から完成品まで自給自足が行われた。
   
■二つの会社は 共に株式上場を果たし、ズボン釣りの松直商店株式会社
   ヨット鉛筆株式会社の社長を兼務した。
   ズボン釣りその他、洋品雑貨に於いては、品質の精良と研鑽を以て知られ、年商百数十万円を稼ぎ、内地だけでなく
      海外にまで及び、名実ともに東洋一を誇った。
   ヨット鉛筆に於いては日本五大鉛筆工場の一つとしてシェアを拡大。
      海外に輸出するまでとなり、従業員数は500名を越えていた。    
   ▲ 回顧録では・・・
   「学問も無かった。財もなかった。背景もなかった私であるが、今日あるのは私に異常な根気のよさが有ったからだ。」
    享年57歳。  墓地 多磨霊園 16区 1種 3側   同名のに代目の息子の建立である。





2017.04.20
 | HOME |  NEXT PAGE »