きょう 二年前に亡くなった
  中央大学教授石井正敏さんの奥様から、 

  研究仲間の先生方の書かれた
  石井正敏教授の研究業績を分析報告した
    下記の 『前近代の日本と東アジア』が 上梓されたとして
    送られて来た。
  併せて 4冊の著作集の発行も知らされた。
  この遺作集の広告は 先週の「朝日新聞」朝刊一面下にも出されていたので知っていた。

 突然とも云う逝去で 止まった研究の存在や到達点。
  また、大学入学以来の研究人生が テーマ別に、事業の継承仲間によりまとめられている。
  一人の研究者の一生が 解析されており、実に興味深いものであった。
  
その中央大学大学院時代のうち、
   2歳年下の下級生の私は、大学3・4年生と大学院修士課程の2年間の 計4年間を
  研究室や研究会、大学院の授業でお世話になっており、
  将来伸びていく研究者の若年時代を知ることが出来たし、勉強方法のイロハを教えられた。
  わたしは、今も大変感謝しているが、
  この本の中でも、石井さんの研究分野や研究方法の基礎は、中央大学大学院での
  森克己先生、飯田瑞穂先生によると、誰もが分析されておられる。
  その部分を読むにつけ、私も、隣の席で同じ空気を吸っていたことを思い出す。

同じ空気の中で 過ごした 4年間であったが、
  実績を残した有能な学者との 頭脳・努力の差が 
  今日の 迷う私を作り出しているのだが、
  「ああ あのときの 
   森先生、飯田先生の一言が 石井さんのあの論文や著作のヒントになっていたのかあ」と、
  思い出させる この本になっていた。   
     
表紙

石井さんが 身体の不調を訴える頃にも 
 そのような事を知らない私は、
 湯河原の土肥実平のことで、東京大学史料編纂所の史料について
 細かなことで相談協力を 依頼し続けていて、大変ご迷惑をおかけした。  
 
石井さんが そこの勤務を始めたばかりの時に発見して 紹介した文書がこれであり、
 今回の本のカバーにも 印刷されている 「高麗牒状不審条々」である。
 この三別抄の活動の発見で、研究で、それまでの「蒙古襲来」の常識が変わった。
 記念すべき? 史料である。

     高麗牒状不審条々

 また、高校教員となった 私にとっては、
  森先生の「遣唐使」と「日宋貿易」の研究で、平安時代の外交を生徒に語ってきたが、
  森先生の研究を、飯田先生の資料研究方法を継承した石井さんの新たな研究で、

  有名な894年の菅原道真が任命されて遣唐使に行くことが取りやめになったことを
  「八九四年 = 白紙 に戻る 遣唐使」と唱えて 
    遣唐使が廃止された。 つまり 二度と行かない。と
 

    そんな風に教えて、テストにも出題して 
    ○×を付けてきたし、天神様の説明に常に話してきたが・・・・・
  
  いまでは 高校教科書も、山川の詳説日本史でも
  「894年に遣唐使が廃止された。」とは書かれていない。
  「894年に 菅原道真が 遣唐使の派遣の中止を建議した。」と書かれている。

  事実は、石井さんの 『日本紀略』の細かい解釈から
  「894年に菅原道真が 遣唐使の派遣の中止を建議した。その後も派遣計画があった・・・」ということである。 

 


 このような 石井さんの研究は、
  日宋貿易の研究からは、源平合戦で、貿易で収益を上げていた平家を破った 源頼朝、土肥実平のことや、
  その後、渡海して中国仏教文化を学んだ僧や、やって来た禅宗の中国僧などの研究により、
  私にとっては 心強い応援者であってくれた。
  くり返し 感謝申しあげたい。

 ここ湯河原の土肥実平の菩提寺の
  ①「城願寺」には、南北朝~室町時代初め、中国人の禅僧が住職となっていたこと。
  ②また、最後は 石井さんが中国へ渡った成尋(じょうじん)の研究を進めていたので、
   土肥会や鎌倉幕府、城願寺など それについての情報提供をせがんでいた。
  
  そのことが石井さんの逝去で 中断したのは
   かえすがえす 残念至極なことだと思っているので、
  これからは 非力ながら、
  私 加藤なりに 考えることを研究していきたいと思っている。




 改めて 本を読み直し 感慨無量であることを記して 
      きょうの 私の反省と決断の 記録としておこうとおもう。
                            合掌











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2017.10.18

今日午後  箱根湯本の駅前にある
  櫻木商店へ 出かけていきました。 
  箱根の写真を沢山持っておられる櫻木さんに
  10月始めから お目に掛かりたいと お願いしていましたが、
  いただいた返事の葉書にある携帯電話も、niftyのメールアドレスに連絡し続けても
  お忙しくて、
  なかなか お返事がいただけないので、
  お店に、今朝 電話して、お留守番に開店していることを確認してから 出かけました。

そこでの 櫻木さんとのお話しは 後日へ回して、
  購入してきた 湯河原・真鶴の 古い絵葉書や写真の複製に
   おもしろいものがありました。

▼その小袋表紙のカット

  500円の複製「原色版真鶴八景」と題して 出された
  櫻木商店の絵葉書セットの袋表紙でしょうか・・・?
  
   
真鶴八景 表紙

   小袋には「原色版」と表紙に書かれていても、
   中の写真8枚は 確かに彩色されていますが、
   これは写真原版に 後から 彩色した物ですよね。

   大正年間の発行でしょう。 
   なぜなら この「龍宮岩」は、当時 真鶴町に編入していた
    福浦港(現在、湯河原町に編入されています)の、関東大震災の津波で崩れ去った
  「龍宮岩」が 小袋に 木版風のカットに使われ、
    袋内の写真も「龍宮岩」が写った絵葉書がありますから
    龍宮岩1



▼その中の一枚は・・・・

  人戸之窟

 おもしろいのは この写真下の地名紹介部分です。ちょっと見にくいのですが、

   A Grotto of hitodo Manaturu 人戸之窟頼朝ノ隠レシ所(真鶴港) 
    とあるのです。
  つまり、  「ひとど」の洞窟=人戸の窟=しとどのいわや

  人が戸を閉めて 中で潜んで知るという意味の 今まで聞いたことがない 呼び名ですね。

しとどの窟真鶴 いわや
    確かに 現状の格子戸の扉の上の、斜めの大岩は
    関東大震災で 
    真鶴半島が沈下して 
    この穴は、
    上部の隙間しか空間が あかない
    小さな物になってしまいましたが、
    同じ位置にあるものですよね。右上の写真ですね。今の格子扉の形です。
  
      震災の前窟
  この写真は 震災での崩れる前の窟の写真です。
    が、上の絵葉書と、逆方向から 撮影された一枚ですね。


 それにしても 今日の櫻木商店から、購入した中の一枚の絵はがきは私の初見でした。
   ありがとうございました。






2017.10.18

今朝の午前0時 つまり 24時の 「東京会議 @tokyokaigi」 見損なった。
  日曜日のボランティアに出かける忙しさもあって、
  新聞をよく見ることができなかったせいで、残念。

●先週 2017年10月7日 見ました。
 先週の「東京会議」は 久しぶりのぶらり旅!お馴染みの三人が、
 東名、小田原厚木道路の渋滞のロケバスの中で繰り広げる面白トークに乞うご期待!
 さらにカレーフェス開催に向けた緊急会議など・・・  湯河原へ到着です。

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● そして 2017年10月14日
 今夜の「東京会議」は24時から!番組で公募した「会議飴」のパッケージデザインを審査します。
 夢の「コンビニ棚」に並ぶパッケージとは??秋の夜長に東京会議。ぜひご覧ください〜
  見損ないました!

 こんな風で おもしろいのですね。湯河原での会議なんて おもしろい。

  東京会議 湯河原2
 どうなったのだろうか 知りたいね。


 



2017.10.16

箱根湯本で、古写真を大量に 
  叔父や父親から引き継いでおられる人が いらっしゃいます。
 その方に 色々と伺って見たところ 
 お返事をいただきました。

 ①和歌山の「大正印刷」という印刷屋さんは、鳩のマークを使用していました。
 ②櫻木良平、櫻木四郎が勤務していました。
 ③「福浦八景」は、櫻木商店で販売したものと思います。
 ④城願寺の土肥氏墓地の写真については知りません。

それにしても 昨年調べていた・・・・・
  遠く、 和歌山県和歌山市の写真屋さんが、
  何故に、昭和10年頃 神奈川県 湯河原町福浦漁港の
  関東大震災の復興を記念した 築港記念の 
  絵葉書「福浦八景」を 発行できたのだろうか不思議でした。 

こんな 箱根に 大きな因縁の ヒントがあったのです。

  水曜日に 訪問させてくださいと お願いしました。




2017.10.16

 これまでも 何度も足を運び 案内をしてきた場所ですが
   改めて 昔の資料を探し出し、
   要望のある場所を 案内して
   あれこれ 観光本に載っていない お話しも出来れば良いかなと思います。

    観ボラ29.11.7.日程表

 いただいたコース表をもとに 効率よいコースを、
   運転手さんと相談して、修正もしつつ、
 
   ご希望の場所で 時間をとって 御案内できるよう
   新しい見解も 加えた資料も 
   前もって作っておいてと 考えています。 

 今晩 そのコースを作って見ましたが 
    だいたい あそこでは この話をしようとプランがわいてきました。
 
    観ボラ修禅寺研修地図
    
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
上の準備と同時進行で 
 11月18日(土)ごご 
  戸田市文化祭で 講演させていただく 
  NHK大河ドラマ「女城主 直虎」の準備も 進めております。

  皆さんに楽しんでもらう(?)には 
  どうしたらよいかというと、
  ポイントとなる部分は
  「次郎法師=直虎は、女性ではなかった!」 
  ということにして
  ストーリーを組み立てようと
  思っています。   

  お楽しみに・・・・・と いったところでしょうか。

  NHK表紙            謙信輝虎
  「井伊直虎が 女性だったら、 上杉輝虎(謙信も 女性だった」ということ
  などという話も おもしろいかと思いますが
  如何でしょうか!?

    
 
2017.10.16
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